ひきこもろうと思って行ったわけではないけど、結果的に丸々1年間は完全ひきこもり生活した。
ひとり暮らしの完全ひきこもり生活だから、実家ニートのひきこもりより、引きこもり度合い強めだと思う。
一般的な20代会社員の給与の数倍のところで2年働いて、その後の在宅ワークがたまたまうまくいって実質不労所得が毎月一定額入る状態だったから目一杯ひきこもりした。
一応その在宅ワークを拡大させようとしてたんだけど、いろんな能力不足で1年半かけて収入ゼロに近づいていった。
沖縄に行った理由の1つに海に漠然とした憧れがあったから、海の近くに住んだら幸せっぽいって思ってて行ってからの半年は毎週何回かいろんな海岸に行ってシュノーケリングで魚と泳いで海きれーとか思ってた。
毎週何度も見てるときれいな海が標準になるからそのうち何も思わなくなった。
沖縄だから海沿いとかでパーティやってたりするんだろうなって思って本島の道があるところはだいたいバイクで行ったと思う。このへんパーティやってそうとか。
それもだいぶ調べた結果、沖縄に期待しているパーティはないって結論になった。
BBQはいろんなとこでやってるけどなんか違った。
そんなわけで沖縄行って半年後には沖縄の陽にあたるのも避けるくらい部屋のカーテン閉じっぱなしで完全ひきこもり生活がスタートした。
完全ひきこもり生活ではふだんできないことをいろいろ試せてよかったと思う。
試したこと:
・毎日瞑想する
・明晰夢を見ようとする
・48時間周期の生活
・マクロビオティック
・全裸生活
・ノープー、ノー界面活性剤
・髪と髭を切らない
・何もしなくていい状態から本当にやりたいことを見つける
・毎日瞑想する
瞑想の入門本をいくつか読んでから毎日瞑想スタート
最初は胡座で背筋伸ばして正中線に何かがみたいな意識してやってたけど、姿勢がしんどくなってしんどいことに意識がいっちゃうからすぐにベッドに横になった状態でやるようになった。
眠くなったら寝てもいい、ただ起きたらまたそこから瞑想再開。
そんなかんじで毎日1時間程度瞑想してて、1年間で2回(たぶん)だけ超ぶっとび経験した。
瞑想すると毎回リフレッシュ感が気持ちいいから続けてて、瞑想体験の理想は意識と身体が別に存在していることを経験として実感したいってことだった。
それ目的で瞑想してるといろんな条件(適度な疲れと眠くもなく瞑想に集中できる状態で、空腹感や身体のどこかに意識がまったくない状態)が重なったときだけ、意識が身体から離れていく体感をすることがあった。
意識が身体から離れる感覚は金縛りとほぼ同じ状態で、「あ、離れた」と思った後は身体のどこかを動かそうとしてもまったく動かないし瞑想やめて眼を開けようと思っても何も動かない。
たまに寝ているときに金縛りになるときも同じように、その感覚が怖くなってなんとか元に戻そうとしてそのうちもとに戻る。
ちなみに寝ているときの金縛りは身体が寝たままなのに意識だけが起きてしまった状態だから特に怖がる対象は何もないことは理解してるんだけど、実際動かそうと思った身体が動かないと怖くなる。
毎日瞑想して、誰とも会わずに会話もせず、昼か夜かもわからない生活してると意識が身体から離れてもしその身体がずっと動かなくても特に困ることはないかなって気になってくる。むしろ身体から離れた意識がたどり着くところが本来意識があるべきところなんじゃないかとも思ってた。
死ぬ気は全く無くて意識を元の存在していた場所まで戻すことを体験してみたい好奇心が強かった。
そんなかんじで瞑想がうまくいったときに何度か意識が離れて、ちょっと離れる時間?距離?が長くなると怖くなって戻ってというのを何度もやった。
瞑想してるときは時間の経過感覚ないし、意識がどのくらい離れたのかもわからないけど、何らかの尺度で離れすぎたって思うと怖くなって戻ることが多かった。
最大限離れたときは一瞬で宇宙まで意識が行った。たぶん2回。1回なのか2回なのか記憶が曖昧。
記憶が曖昧なのは沖縄生活で毎日同じような生活してたからとか、瞑想しすぎがどうのこうのとか理解されやすそうな理由ありそうだけど、おそらくナチュラルに記憶しておくことに興味なさすぎて覚えてない。記憶の対象が何であれ同じ。
この瞑想ぶっとび体験で思ったことは、意識と身体は別に存在してリンクしていて、この世界でうまく生きるために身体の中に意識を格納した状態で生きている。
身体の停止がこの世界での死で、そのとき意識はこの世界から無くなる。
そんなことを思う体験だった。
思ったことが真実なのかはどうでもよくて、この体験をすることが目的で何を思うかを経験したかった。
・意識と身体が別に存在していることを経験として実感したかった理由
パーティでずっと踊ってると同じような動作を延々と繰り返すリズム運動の効果とその時すごくいいって思う音で意識が飛びそうになるときがときどきあった。
これも瞑想のうまくいくときと同じでいろんな身体と精神の条件がうまく合ったときだけだから数えるくらいしかない経験。
で、この経験を意図的に再現して飛びそうな意識をちゃんと遠くに飛ばしてみたら何かおもしろい経験ができるんじゃないか。っていうのが最初の理由。
そのあとに後押しした理由がRaja Ramがソルス2002で話していたこと:
The psychedelic experience in opening one’s consciousness to higher dimensions.
(サイケデリック体験が意識を高い次元に開く)
このワンフレーズがずっと記憶に残ってていいパーティで踊ってるときはたいてい思い出す。サイケデリック体験は意識の拡張なんじゃないか。
パーティが好きな理由の大きな部分も意識が拡張されていく感覚だと思う。
このRaja Ram動画はDVDで見ただけで、2002年のソルスは行ってない。このあたりの年はビックパーティがオンシーズンの連休で重なってることが多くて、ソルスじゃないほうのパーティ行ってた。Gathering、Motherとか。
参照 クラベリアのソルス紹介ページ:https://clubberia.com/ja/features/solstice/
うまくいった瞑想で宇宙に意識が行ったって思ったけど、それはきっとRaja Ramの”one’s consciousness to higher dimensions”のhigherが感覚的に上に行くと宇宙があるから宇宙に行ったって思ったんだと思う。
higher dimensionsだから別の次元に行ってるほうがきっと正しいし、感覚的にもそっちのほうが近かったような気がする。
この瞑想うまくいった体験で目的達成したから、それ以降はほとんど瞑想していない。そのうちhigher dimensionsを体験する目的でまた毎日瞑想生活してみようと思う。
コメント